澪標
(みおつくし) |
明石から帰京した十月、源氏は故桐壷院のために法華八講を催行した。
翌年二月、春宮(冷泉帝)が元服したのを機に、朱雀帝は譲位し、源氏は内大臣に、前左大臣も返り咲いて太政大臣に、頭の中将は権中納言に昇進して、源氏と太政大臣の一族に再び権勢が戻ってきた。
源氏は公務が多忙で、あちこちの女君を軽々しく訪ね歩くこともできない身分になったので、父から譲り受けた二条の東の院を改築して、花散里たちを住まわせようと計画する。
三月中旬に明石の君に女子が誕生した。源氏は喜んで、乳母とともに沢山の贈り物を遣わした。明石の入道は、源氏の手厚いもてなしに涙を流して喜んだ。この秋、源氏は願がかなったお礼に住吉に詣でる。たまたま行き合せた明石の君は、源氏の豪華な行列に驚き、我が身との違いを痛感するほかなかった。
朱雀帝になって伊勢の斎宮も代わり、六条御息所は帰京し尼となっていたが、病に倒れ、源氏に後事を託して亡くなった。源氏は藤壷と相談し、六条御息所の遺女の前斎宮(後の秋好中宮)をわが養女として二条院に迎え、冷泉帝の後宮に入内させようと考えていた。 |
蓬生
(よもぎう) |
源氏が須磨に閑居していた頃、京にとり残された女たちの中には苦労をしていた人もいた。特に末摘花はあわれで、古い邸内は荒れ果て、仕えていた者も、次第に去っていく始末であった。彼女の母の妹にあたる大弐の北の方のなどは、むしろ末摘花に憎しみを抱いていて、夫が九州へ赴任するとき、彼女を侍従として連れて行こうとした。源氏の来訪を待って応じようとしなかった末摘花はひたすら源氏を信じきっていたのである。源氏は末摘花の真情を謝し、今後のことを約束する。それから二年後、末摘花は新築の二条院の東院に引き取られた。 |
関屋
(せきや) |
桐壷院崩御の翌年、空蝉は夫の伊予介が常陸介となったので、一緒に下国した。源氏が帰京した翌年、常陸介も任期を終え、空蝉も夫とともに上京することになった。一行が逢坂にさしかかった時、たまたま石山寺へ参詣にきた源氏一行と行き逢う。源氏も空蝉も昔のことを思い出すが、どうすることもできなかった。
その後、夫の常陸介は病にかかり、くれぐれも空蝉のことを息子たちに頼んで亡くなった。しかし、息子たちの扱いは空蝉に対して冷たかった。又、長男の河内守(もとの紀伊守)にも言い寄られたりして、世のあさましさを嘆き、尼になってしまった。 |
絵合
(えあわせ) |
六条御息所の娘、前の斎宮(のちの秋好中宮)は、源氏の養女として冷泉帝の後宮に入内し梅壺女御となった。冷泉帝はすでに権中納言(頭中将)の娘弘徽殿女御が入内していたが、梅壺女御は絵が巧みであったので、絵を好む冷泉帝の心も次第に彼女に傾いていく。これに対抗して権中納言は当代の名絵師を招いて、絵物語を描かせ、弘徽殿のもとに贈る。源氏も秘蔵の絵を選んで、梅壺女御に贈った。藤壷は女御たちを集めて、双方の絵物語の批評論争を行わせたが決まらず、やがて絵合は帝の前で、行われることになった。
当初は互いに譲らず、最後に源氏が出した須磨の絵日記によって梅壺女御方の勝利となった。この絵合せは当時の語り草となった。 |
松風
(まつかぜ) |
二条院の東院が完成したので、源氏は西の対に花散里を移り住まわせ,東の対には明石の君を迎えるつもりであった。明石の君の方へはしばしば手紙を出して上京するように言ったが、明石の君は上洛してからの気苦労を考えるとなかなか決心がつかないでいた。明石入道は、あれこれ考えた末、嵯峨の大堰(おおい)に曽祖父にあたる中務宮(なかつかさのみや)の所領があるのを思い出し、そこに住まいを整えて上京させることにした。その邸は、源氏の造営しかけている御寺に近い。
秋、明石の君は尼君・姫君ともども船路はるばる大堰の邸に辿り着いた。松風の音は明石の浦にも似ているが、尼君には昔を思い出させる。
源氏は紫の上をなだめすかし、御寺造営の指図を兼ねて、大堰の住居を訪れた。はじめて姫君を見た源氏は、愛らしい姿に感動する。
二条院に帰った源氏は、紫の上が不満気なのに気を使って、明石の姫君のことを紫の上に語り、紫の上も姫君を養女として引き取ることには賛成する。 |
薄雲
(うすぐも) |
大堰の山荘で冬の生活を送る明石の君に、源氏は二条院へ移るように提案するが明石の君の心は重たい。それではせめて姫だけでもと言われ、思い悩んだが、母の尼君に説得され、やっとその気になった。
二条院に引き取られた姫君は紫の上によくなつき、紫の上も、この愛くるしい姫君がすっかり気に入って喜ぶ一方、この子を手放した明石の君に同情する。源氏は二条の院で姫君の着袴の儀式を盛大に行った。
このころ、太政大臣(葵の上の父)が没し、源氏もねんごろに法要する。
この年になって、疫病がはやり、藤壷も病が重くなり三十七歳の生涯を閉じられた。源氏の悲しみははかりしれず、泣き暮らす日が続いた。
藤壷の四十九日の法要も済んだ頃、冷泉帝は藤壷の祈りの師であった老僧から、彼の真の父が源氏であることを教えられた。冷泉帝は源氏に位を譲ろうとされるが、源氏は固辞した。源氏もまた秘密が発覚したのではないかと案ずる。
源氏は昔の友の頭の中将が大納言に昇進したのを機会に、政権を譲って自分は隠退しようと思い立った。
このころ、梅壺女御が二条院へ退下してきた。源氏はその美しさに好色心が動くのを抑えて、お仕えする。しみじみと物語するうちに、春秋の趣の優劣について比較論などを語りあった。 |
朝顔
(あさがお) |
桃園式部卿宮(桐壺院の弟君・朝顔の宮の父君)が亡くなられた。喪に服すため、その姫君は賀茂斎院の職を辞し、故父君のお邸である桃園宮で暮らしていた。彼女はかって源氏がその思いを朝顔に添えて、歌を贈った女性である。彼女に関心のあった源氏は出かけて行き、しきりに思いのたけを訴えるが、姫君はさらりと受け流して取り合おうとはしない。源氏は二条の院に帰ると庭前に咲いていた朝顔の花を折らせて、宮のもとへ贈った。
噂がもれて、紫の上が悲しまれるのを宥めすかして、雪のよいの夜、女五の宮を訪ねた源氏は、尼となって仕えている源典侍にめぐり逢い、源典侍が品を作って言い寄ってくるのをあわれに思う。又姫君との間もいっこうに進展しない。
雪の降り積もった夕暮れ、童たちに雪の山をつくらせたりし、紫の上と語らっていると、その横顔やしぐさに藤壷面影も思い出されて、朝顔の宮への恋心も薄らぐのであった。
その夜、源氏の夢に藤壷が現れ、二人の間の秘密をもらしたことを恨まれた。源氏はひたすら阿弥陀仏を念じ続けた。 |
少女
(おとめ) |
源氏と葵の上との長男の夕霧の元服のときが近づいた。元服は祖母の大宮が晴れ姿を見たいだろうと思って、そちらの邸でとり行なわせることにした。源氏は夕霧を大学寮に入学させ、思うところもあって、六位のまま勉学にいそしませる。
宮中では梅壺女御(のちの秋好中宮)が立后した。これとともに源氏は太政大臣に、右大将(もとの頭中将)も内大臣となった。内大臣は妹娘の雲井雁(くもいのかり)を東宮の妃にと心づもりしている。ところが、幼いうちから祖母の大宮のもとで育てられた夕霧と雲井雁とは幼なじみであり、いつしか相愛の仲になっていた。これを知った内大臣は激怒し、二人を引き離してしまう。
その年の五節の舞姫に、惟光の娘が選ばれた。雲井雁との間のことで心静まらぬ夕霧は、惟光の女に歌を詠みかけたりした。これを知って惟光は喜ぷ。
翌年八月、源氏は、六条御息所の旧邸を改築し、四町に及ぷ壮大な邸宅を完成した。各殿舎に四季にふさわしい庭園をしつらえ、源氏と紫の上は東南(春)に住み、東北(夏)は花散里、西南(秋)には秋好中宮、西北(冬)には明石の君と、それぞれ割り当てた。 |
玉鬘
(たまかずら) |
夕顔を失ってから二十年近い歳月が流れたが、源氏は夕顔のことを忘れられず、夕顔の侍女だった右近を召抱え、紫の上の侍女とした。夕顔の遺女王鬘は、当時三歳だったが、太宰少弐(だざいのしょうに)となった乳母の夫に連れられて、筑紫(つくし)に下った。十七年がたち、少弐は病死したが、玉鬘の美貌を伝え聞いて求婚する人々が現れ、なかでも肥後国の太夫監(たいふのげん)という豪族は熱心にいいよってきた。危険を感じた乳母は長男の豊後介(ぶんごのすけ)や娘たちと玉鬘を伴って、夜の闇に紛れて筑紫を逃げ出した。ようやく京にたどりついたが、どこにも頼る当てもなく、とにかく虎口を逃れたお礼をしなくてはと長谷の観音に参籠したところ、偶然にも、同じく参籠にきた右近―行と再会した。右近は、かねてから源氏より夕顔の遺児を探し出すように言いつけられていたところであった。右近は姫君の一行とともに長谷に参り、京へ戻ってから、事の次第を源氏に報告した。源氏は夢かとばかりに喜んで、、六条院の東北の町の西の対に養女として引き取り、花散里に後見を託した。玉鬘の優雅な才質を知った源氏は、満足する。
その年の暮れ、源氏は玉鬘をはじめ、女君たちに贈る新年の晴れ着を、紫の上とともに選んだ。 |
初音
(はつね) |
新しい年を迎えて、六条院のすばらしさは言葉に表しがたいほどであった。特に紫の上の御殿の庭はあたかもこの世の極楽を思わせた。夕方、源氏はまず紫の上のもとに年賀に行く。次に明石の姫君のほうに行くと、実母(明石の君)からの贈歌が届いていた。それを見て、姫君に返歌をさせる。花散里の御殿は特別に華やいだ風情もなく人柄どおり上品であった。玉鬘も奥ゆかしく、美しさと素直さを感じる。
夕暮れになってから、明石の君のもとにおいでになった。源氏はつい心をとめて、ここで一夜を過ごしてしまった。翌早朝紫の上のもとへもどって機嫌をとるが返事もない。
源氏は六条の院の賑わいからもれている二条の女君たちをも忘れずに見舞った。
今年は男踏歌(おとことうか)があり、宮中から朱雀院を経て六条院にも一行が回ってきた。女君たちも紫の上に招かれて、見物する。そのとき、玉鬘ははじめて、紫の上・明石の姫君に対面した。 |
胡蝶
(こちょう) |
三月、六条院の紫の上の御殿の庭は春の盛りのようなありさまである。源氏はさっそく船を池に浮かべ、舟楽を始めた。その頃、秋好中宮がちょうど里下りをしていたので、秋好方の女房にもこの舟楽を見物させた。親王や高官たちが招かれ、夜に至るまで盛大な音楽会が催された。あくる日は秋好中宮の方で季節の御読経が始まったので、紫の上は桜・山吹の花を金銀の瓶に生けて贈った。
四月になると、玉鬘のもとにはたくさんの恋文が絶えなく、源氏はそれぞれ点検し、返事をするように指示する。。玉鬘の美しさに源氏もしだいに惹かれてゆき、親代わりというのにことよせて、彼女の気を引こうとする。玉鬘は養父とのあらぬ噂など立てられたらと思い、苦悩し困惑した。 |
蛍
(ほたる) |
玉鬘は源氏の時折の振る舞いに心を痛めている。源氏は、兵部卿宮が彼女に熱心なのがわかるが、玉鬘はあまり気が進まないようだった。源氏はあまりつれない返事はなさるなと注意し、返事の書き方を教えて文を宮に届けさせる。宮はこの文に喜んで、お忍びでやってきた。あまり二人の雰囲気が進まないので、源氏は隠し持っていた蛍を玉鬘の面前に放った。その瞬間、彼女の美しい横顔が照らし出された。案の定、宮の心は玉鬘に魅せられてしまった。
五月五日の節会に御殿で競射をすることになったので、源氏は馬場に近い花散里の所へ泊まった。
五月雨が降り続いて退屈な日々、女たちのところでは、絵物語が流行していた。玉鬘のところへやって来た源氏は、玉鬘相手に物語論を展開する。そのついでにも玉鬘のほうへ擦り寄るのを、玉鬘は、どうにか身を保っているのだった。紫の上のところでも源氏は、物語の人物論を交わしたが、ここでは父らしい訓戒をする。。
夕霧は妹の明石の姫君の所に出入りするにつけ、雲井雁のことを忘れられないでいた。
一方、内大臣は玉鬘がわが子であることを知らぬまま、夕顔の遺女を探索するよう指示する。 |
常夏
(とこなつ) |
あまりに暑いので、源氏は夕霧と東釣殿で涼んでいた。そこへ内大臣家の青年たちが夕霧を尋ねてやって来た。源氏は最近内大臣が引き取った落胤の女の子
(近江君)のことを話題にして、内大臣を皮肉る。
一方、内大臣は、子どもたちから源氏の皮肉を聞いて、玉鬘が本当の源氏の娘ではないのではないかと反論する。内大臣は、娘の雲井雁の中途半端な状況に苛立つ。さて問題は近江の君である。今さら帰すわけにもいかず、娘の弘徽殿女御のところで行儀見習でもさせることにした。彼女は、父の大臣から姉女御のところに行くようにと言われて喜び、口紅をべタべタとぬりつけて準備に精を出す。 |
篝火
(かがりび) |
近江君の悪評が高くなるにつれて、源氏もさすがに内大臣のことを気の毒に思う。また玉鬘も、これを聞いてようやく親しみを感じはじめる。
秋になると源氏はしばしば玉鬘を訪ね、琴を教えたりした。疲れては琴を枕にして玉鬘と仮寝することもあるが、他人に疑われぬようにと夜更けには帰るようにしていた。人目にもたつ時分なので、やむなく立ち去ろうとすると、庭の篝火も消えそうになっていた。とりあえず、篝火を明るくしてみると、玉鬘の美しさはまたひとしおである。思わず、歌を詠みかけるが、玉鬘はあえてはずした返歌をする。
いざ帰ろうとすると、夕霧のところに内大臣の子の柏木兄弟が来て、笛と琴で合奏しているのが聞こえた。源氏は三人を呼び寄せ合奏をさせた。柏木兄弟が異腹の姉弟であると知っている玉鬘は、それとなく気をつけて見ている。しかし、玉鬘を妹とは知らずに恋い慕う柏木は、気持ちを抑えながら思慕の情をこめて奏でていた。 |
野分
(のわき) |
八月のある日、野分が例年よりも烈しく吹いた。夕霧は父の住む六条院に見舞いのため駆けつけたが、たまたま風のために、あけ放たれた隙間から、紫の上の美しい姿を覗いてしまう。父の源氏が自分を継母に近づけない理由が分かったような気がした。
その後、夕霧は源氏のお供をして、秋好中宮の御殿から明石の君、玉鬘の部屋へと見舞いにまわった。夕霧は源氏が玉鬘に対してひどく馴れ馴れしい態度を示しているのを見て不審を抱く。
夕霧が三条の宮へ来てみると、大宮は、静かに勤行しておいでになった。内大臣も見舞いに来ていて、話はまた近江の君の笑い話になった。 |
行幸
(みゆき) |
十二月に冷泉帝の大原野(おおはらの)行幸があり、このとき物見に出た玉鬘ははじめて、父の内大臣や髭黒らを見る。源氏は、玉鬘に宮仕えを勧めるが、こうなると彼女の氏素姓を明らかにせねばならない。源氏は三条の大宮の病気を見舞った際、よもやま話のうえ、内大臣の子を預かっていることを話し。夕霧の一件以来いささか不和がちな内大臣へのとりなしを頼む。大宮は早速、内大臣を招く。内大臣は、思いがけなく夕顔の忘れ形見の玉鬘のことを聞いて、泣いて喜ぶ。
二月十六日が吉日だというので玉鬘の装着をすることとした。当日は大宮や秋好中宮からもお祝いの手紙や贈りものが届く。中でも末摘花のは傑作であって、源氏はわざと戯れた返事をする。このようにして父子の対面がとどこおりなくすんだ。姉弟とも知らずに思いをかけた柏木は、事実を知ってほっとしながら、この姫君の今日の幸いを喜んだ。
近江の君が、自分も尚侍にとあちこち頼みまくる。内大臣家の人々は彼女を笑いものにするが、世間ではそういう内大臣家のことを笑っていた。 |
藤袴
(ふじばかま) |
望みどおり父とも会い、かつ今後の身の振り方も決まったものの、玉鬘の悩みはなお尽きない。もしも宮中で困ったことになると相談する人もいないと一人苦悩していた。そこへ夕霧が、冷泉帝の勅旨を伝えにやってくる。今は玉鬘が実姉でないことが分かった彼は、持って来た藤袴の花に託して、わが思いを切々と訴えた。それでなくても憂わしい玉鬘の心はいよいよかたくなになってしまう。
夕霧は南の御殿に戻って、玉鬘が出仕に気が進まない様子であることを父源氏に話す。源氏は夕霧に彼女の人がらをほめるのだが、夕霧には内大臣が源氏の思惑を察していることを告げ、父の本心をうかがおうとする。その推察に、源氏はその場は笑ってごまかしたものの、内心はぎくりとする。
実の姉弟と知ってさっぱりと思い切った柏木は、父内大臣の使いで玉鬘に逢い、内大臣家の意向を伝えて帰る。
九月になって初霜が降りる頃、柏木の上司である髭黒の大将や螢兵部卿宮など、心寄せの方々から玉鬘に歌を贈ったが、なぜか、彼女は螢兵部卿宮にだけ、ほんの一筆返事をした。 |
真木柱
(まきばしら) |
髭黒の大将は、玉鬘の侍女の弁の手引きで玉鬘と契りを結んでしまった。源氏はそれを聞いて、事態を秘密にしておこうとする。玉鬘は意に染まなかった方と契りを結ぶことになって気が滅入っていた。源氏ははなはだ残念に思うが、しかたなく養父として婚礼の支度をする。
玉鬘の出仕を快からず思っている髭黒の大将は、玉鬘を自邸に引き取ってしまおうと考えていた。北の方の実家の式部卿(紫の上の父)の宮家では北の方に帰ってくるように勧めた。ある雪もよいの夜、六条の院に出かける大将の仕度を手伝っていた北の方は、突然、物の怪につかれて、火取の灰を大将の後ろから、浴びせかけた。灰だらけになった髭黒は玉鬘のもとへは行けなくなってしまった。
こんな事から、ついに式部卿宮は大将の留守に、北の方と姫君(真木柱)や他の子供たちを自邸に引き取った。髭黒の愛娘の姫君はこの邸を去るのを悲しみ、柱の割れ目に、「真木の柱はわれを忘るな」と一首の歌を残した。さて、髭黒は帰邸してその真木の柱を見ると、さすがに涙を禁じえない。式部卿官邸に行って北の方や姫君たちに会おうとするが、宮さえも出てきてくれない。やむなく二人の息子を連れて帰ってきた。
翌年春、玉鬘は入内した。冷泉帝は玉鬘が気に入ったようであるので、髭黒は気が気でない。とうとう風邪心地を理由にして、玉鬘を自分の邸へ連れ帰ってしまった。そして十―月には玉鬘に男の子が生まれ、そのころ近江君にも女心が芽生えた。ふとみかけた夕霧に近付いて、例の調子で夕霧を辟易させるのだった。 |
梅枝
(うめがえ) |
東宮(朱雀院の皇子、のちの今上帝)が元服されるので十一歳になる明石姫君の入内する日が近づいてきた。正月の晦日のひまなおり、源氏は持参させる薫物台を思いついて女たちへ指示した。二月十日に螢兵部卿宮がやってきたので彼を審判に薫香比べが行なわれたが、優劣はつけられなかった。やがて遊宴となった。
翌日、中宮のおられる西の対の放出で、明石姫君の裳着の儀式が行なわれた。この時紫の上は初めて秋好中宮にお目にかかった。
東宮の元服はその月の二十日過ぎであった。まず、左大臣の三の君が入内され、つづいて四月に明石の姫君が入内される。源氏は、姫君の書道の手本になりそうな草子を選んだ。紫の上や螢兵部卿宮を相手に書を論じ、またみずからも筆をとった。ついでに、大勢の名人たちの書や草子も集めさせた。
内大臣はこの様子をみて雲井雁の身の振り方に悩み、一方、源氏は夕霧が一人身なのを心配して、身を固めるよう教訓する。しかし、夕霧は雲井雁のことが忘れられずにいた。 |
藤裏葉
(ふじのうらば) |
夕霧は雲井雁のことが忘れられない。雲井雁の方も不安な日が続く。そんなとき、三月二十日が故大宮の命日にあたるのに気がついた。極楽寺に詣でた折、内大臣の方から夕霧に声をかけ、四月の内大臣邸での藤の宴に招いた。内大臣たちは彼を大歓迎したあげく、酒にまぎらわして、婚約を許す。
明石姫君の入内の日、紫の上は姫君の付添いとして参内し、入れ替わりに明石の君が参内してお付け添いする。実の母の心を思いやってこういう処置をとられた紫の上の心遣いを源氏は嬉しく思った。宮中を下りる晩に紫の上ははじめて明石の君と対面したのだが、これがきっかけで、互いに人柄を認め合って仲よく交際するようになる。
その秋、源氏は准太上天皇となった。内大臣は太政大臣に、夕霧も中納言となった。夕霧は三条宮を修理し、雲井雁とともに住むことになった。
十月下旬、冷泉帝が朱雀院と共に六条院に行幸した。その饗宴は盛大を極めた。 |